ヘソで茶を沸かす日々

カテゴリー: (13ページ目 (48ページ中))

【世界一周】安全にヨハネスブルグ観光(2)So, where to?

出発前、旅程にヨハネスブルグが含まれている事を実家で話した時に、父が脊髄反射で返した言葉が

「ソウェトには行かないよね」←語尾が下がる系の疑問形

その時点ではあんまり行くつもりなかったのですが、観光バスでツアーガイド付きで安全に行けるので、行ってきました。
ちなみに学生時代のジンバブエ出身の友人からも「うちの父でも絶対同じこと言うわw」との事でした。
そんな、南ア最大のタウンシップ、ソウェト。South Western Townshipの略、という事になってますが、So, where to?(で、どこへ?)の方が有名ですよね。

ソウェトの前に寄り道。ワールドカップですね。

サッカースタジアム

上にバンジージャンプあり。誰かが飛ぼうとしてましたw

ソウェト

結構立派なおうちがたくさん

どんどん変わって来てるそう

ヨハネスブルグは経済的に発展を続けていて、「努力をすれば報われる」「何も不可能じゃない」多くの人からこういう言葉を聞きました。貪欲に頑張って働いて、稼いで、今はみんなとてもマテリアリズムで欲しいものがたくさんあるそうです。日本の戦後の復興期かバブル期のようだな・・・と思いました。
そして稼いだ人達も多くはそのままソウェトに住み続けたがるそうです。理由はただ一つ、安全だから
外部の人間からするととてつもなく矛盾して聞こえますが、コミュニティで人と人との繋がりがとても強い為、ここに住んでいる人にとっては、ここが絶対に安全なんだそうです。不審者が家の中を覗き込もうものなら、周りの人が必ずお前は誰だと守りに入ると。なのでお金を稼ぐようになっていったんソウェトを出た人でも、戻ってくる事が多いそうです。
で、稼ぎ始めた人が、少しずつおうちを立て直したり、広くしたり、玄関を立派にしたりしていってるそうです。

良い車がたくさん

観光地化してる

有名な写真

ネルソンマンデラハウス

食べるものが無いからお金恵んでくれないか・・・と言ってくる若者には絶対にお金をやらないで下さい、あいつら、晩御飯代だの本代だのなんだかんだ言いながら、ドラッグ買うだけだから。との事でした。

一方で、取り残されてる地域。行政も追いついていないそう。

最貧地区。電気、水道、トイレ無し。

でも道路挟んで反対側は、電気水道は来てるんです。

道路挟んで反対側

電気が来ていてテレビを持っていると。

ツアーガイドさんがとてもプロフェッショナルで、最高でした。

とてもプロフェッショナルなソウェト出身のガイドさん

とにかくソウェトはパワフルです。
生きる気力を失った日本人には衝撃的です。

 

最後にみんな、南アの名前をもらいました。(公用語が11もあるカオスっぷり)


私はバリーサという名前を頂きました。日本語に訳すと、美花さんって感じだなw
正しいスペルは分かりませんw

夜、ホステルのバー兼レストランで話しかけてきたジモッティーの大学生に、名前はなんていうのーと聞かれて、やかんと答え、
「あ、でもサウスアフリカンネームもらってね、I’m BaLisa.」
と申しましたら
「You have a boyfriend here!!!」(ここに男がいるのかよ!!)
と言われました。
素敵な名前を頂いたようです(・∀・)


↓応援クリックして頂けますと、励みになります(・∀・)
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周(西回り)へ




【世界一周】安全にヨハネスブルグ観光(1)

この日はちょうど道路渡った先でネイバーグッズマーケットが開催される日で、宿の人におすすめされたのもあって、ちょっと覗いてみました。
場所を尋ねたら、ホステルの人が連れて行ってくれました。道路渡るだけでしたけど。(たどり着いた後、および帰りは一人。)

色々美味しそうなものがありましたが、私は韓国のおばちゃんのからあげ丼げっと。
元々家族でこちらに来てて、駐在期間は終わったんだけど、お嬢さんがこちらの大学に行かれてるそうで、お母さんは娘さんと一緒に残ってるそうな。
にこにこ優しいおばちゃんで、久々のアジア飯、美味しゅうございました(・∀・)
あと、ビールも飲んだんだったかな。

さてさて、個人がヨハネスブルグを安全に観光する方法はもうこれ一択だと思います。

観光バス

バス停から宿を見た図

複数のルートがありますので、とりあえず制覇を目指します。

市街地を離れていって・・・

ゴールドリーフシティ、遊園地的な所。

の隣に本日の目的地。

アパルトヘイトミュージアム

カラードです。

内容は悲惨一色かと思いきや、昔の事実は悲惨ではあるものの、それを変えてきた事実というのを力強く誇りをもって展示していて、「自分たちは良い方向に変えて行けるんだ」という力強いメッセージと希望を感じさせる内容で、後味は悪くないです。

南ア国旗の色の棒がたくさんあって、それをみんなが1本ずつこの枠内に挿す、そんなアートがとても印象的でした。

南ア国旗の色の棒

そんなこんなでこの日は帰路につきました。

街角ペイント

白と黒、超富裕層と超貧困層、すさまじく複雑な街で、ものすごく考えさせられます。
そして、この人々のパワー、エネルギーは何なんだろう。戦後の日本ってこんな感じだったのかな?
今の日本が1mmも持っていない要素で、太刀打ちしようがありません。
あと、超プライベートツアーというか、宿にいた陽気なジモッティーが何故かその辺を案内してくれてトモダチを紹介してくれて、え?これパークステーションに近づいてね?と内心びくついたりしつつ、近所のバーやクラブのマスターや、路上でたむろしてるお友達にGood to see you!と握手してきました。濃かった。そしてみんないいやつでした。
けどこれがこの街なんだなーと少し理解できた気がします。人と人とのつながりがめちゃくちゃ強くて、誰か、そこを知っている人(ジモッティー)と一緒にいる限りとにかく安全。

いったい何なんだこの街は。
トイレットペーパーをトイレに流してよいという時点で、アジアの一部の国より発展してると言って良いと思うんですよね。
建物とか食べ物とか、どの国に似ているかというとアメリカかな・・・。
この日、宿の相部屋で同室だったテキサスから来た黒人の女の子も考えてたみたいで、「どう思った?アメリカに似てると思った?」と聞かれました。
「うーん、20~30年前のニューヨークに似てるように思った」と答えたら
「あー!言ってること分かる気がする・・・」
との事でした。

いまだにヨハネスブルグの不思議さについては、うまく言葉にまとめられません。


↓応援クリックして頂けますと、励みになります(・∀・)
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周(西回り)へ




« Older posts Newer posts »

© 2024 やかんログ

Theme by Anders Noren上へ ↑